2025年放送のアニメ『ジークアクス』第12話では、ついにアルテイシア(セイラ・マス)がジオン公国のトップに就任し、その傍らにはかつての忠義の士、ランバ・ラルが静かに寄り添っていました。この光景は、長年のガンダムファンにとって衝撃的であり、そして感慨深いものでもありました。
しかし、同時に語られたのは「本来、ジオンのトップになるはずだったのはシャア・アズナブルであった」という“もう一つの未来”です。そしてその未来をあえて潰した者こそが、シャリアブルでした。
それはまさしく、我々が知る『逆襲のシャア』の世界線。『ジークアクス』という物語がその歴史の再演を断ち切るという形になりました。
アルテイシアがジオンのトップに
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— ふじもん(Fujimon) (@redhot125nao) June 24, 2025
ジークアクスのエンディングでは、なんとこれまで登場しなかったアルテイシアが、ジオンのトップに就任し、ランバラルが側近にいました。
これは、あのこんぺいとうのゼクノヴァの時にシャリアブルがアルテイシアを回収しており、それからずっとアルテイシアをトップとして擁立しようとしていたのでしょう。
まさかの展開に、ネットでも驚きの声が多く上がっていました。また、シャリアブルがシャアがトップになってはいけないとも言っており、逆シャアの世界を見てきたような言い方でした。
シャアがトップになった世界線
大好きな人だけど、やがてアクシズ落としするから自分の手で仕留めます、という最高の愛。
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セイラをトップに決めてます、までやってんの、ほんと先の先まで読んでるデキる大人だったよ。もう、シャリア優勝。 pic.twitter.com/CkrHoJ2Sdp
理想と感情が渾然一体となった支配
『逆襲のシャア』におけるシャアは、地球の腐敗した体制を一度リセットするために隕石を落とそうとしました。理念としては「人類が宇宙に出て、覚醒すべきだ」という父・ジオン・ダイクンの思想を引き継いでいたように見えます。しかし、そこにはアムロやララァをめぐる私情、憎悪、焦燥といった感情が色濃く混じっていました。
シャリアブルが見たのは、おそらくこの未来――理念を利用して私情を正当化したシャアによって、ジオンが再び戦争の業火に飲まれていく未来だったのでしょう。
カリスマが内包する破滅の磁力
シャアは、圧倒的なカリスマを持つがゆえに、“反対意見を抑え込めてしまう”危うさを持っていました。周囲は表立って異を唱えることができず、全体が盲目的に進行してしまう。そして気づいたときには取り返しのつかない破局に直面していたのです。
シャリアブルはその「破局点」を、ある種のニュータイプ的な感受性によって察知したと考えられます。シャアの理想に従えば、ジオンは一度は光り輝くが、やがて真っ逆さまに堕ちていく──それを回避するため、彼は別の希望を探したのです。
アルテイシアという選択肢
シャアの後始末をするアルテイシアさん可哀想#GQuuuuuuX pic.twitter.com/JhAx9WaHvz
— トナカイ【鹿肉食べました】 (@tonakaimaster) June 24, 2025
“血”と“理性”の両立
アルテイシアはジオン・ダイクンの娘であり、シャアの妹です。彼女もまたニュータイプ的資質を備えた者であり、その血統は“象徴”としての価値を持ちます。しかし彼女が兄と大きく異なるのは、「感情による支配」を嫌い、「対話による共存」を選ぶという一点です。
彼女は“父の思想”を受け継ぎながらも、それを純化させ、政治と理性に昇華する力を持っています。感情ではなく、構造と理論、そして人間性を信じる者としての選択が、ジオンという国を穏やかに保つことができる──それがシャリアブルの確信だったのではないでしょうか。
ランバ・ラルという“感情の緩衝材”
アルテイシア政権が即座に硬直化・暴走しなかった理由の一つに、ランバ・ラルの存在があります。彼はかつてジオン軍人として戦場を駆け抜けたが、同時に“民の目線”を忘れない人物です。彼のような人物が軍事と政務の接点にいることは、アルテイシアにとってブレーキにもアクセルにもなります。
もしラルがいなければ、アルテイシアは理念に縛られて動けなくなっていたかもしれません。逆に、ラルが全面に出過ぎれば、シャアと同じように軍事主導に傾いていたでしょう。この絶妙なバランスこそが、ジオン新政権を成り立たせる鍵だったのです。
この先の未来──逆シャアを超える物語
サプライズズムシティ理論(どんな場面の最中でも突然ズムシティ公王庁を映せば確実にひと笑いとれるの意味) #GQuuuuuuX #ジークアクス pic.twitter.com/CXVPjTmI28
— けーち (@Naked_KH) June 24, 2025
シャリアブルが“逆襲のシャア”を見た者だったとすれば、アルテイシア政権とは**「シャアの復讐の未来を、より穏やかで持続可能なものに書き換えるための実験」**とも言えます。
しかし、それは“平和”を約束するものではありません。むしろ以下のような課題が新たに現れてくるはずです。
ニュータイプ思想の暴走
アルテイシアがニュータイプ思想を前面に押し出しすぎれば、それはまた新たな階級思想を生む危険性があります。「選ばれた者しか未来を見通せない」という考えが、やがては支配層と被支配層を分断してしまう可能性があるのです。
シャアの“影”との対決
この物語において“シャアの亡霊”は何度も繰り返されてきました。彼が姿を見せなくとも、その思想、過去の行い、英雄神話は、常にアルテイシアの政治に影を落とし続けます。アルテイシアが真に自立した統治者となるには、「兄の呪縛」からの完全な脱却が求められるのです。
歴史を上書きする意志
『ジークアクス』の最終話は、まるで『逆襲のシャア』の“アンチテーゼ”として作られたかのように見えます。そこに込められたメッセージは明確です。
シャアがジオンを率いた世界では、理想が復讐に変わり、終末へと至りました。しかし、アルテイシアが選ばれたこの世界では、過去の轍を知る者たちが、あえて“別の道”を歩もうとしています。
シャリアブルが見た未来を回避するということ。それはつまり、シャアという一人の男にすべてを託すのではなく、「複数の意志で作り上げる未来」を信じるという、より困難で、しかし希望に満ちた選択なのです。
この未来に待ち受けるのが、希望か破滅かは分かりません。ですが少なくとも、『ジークアクス』は“逆襲のシャア”という定められた物語に、「別の答えがあってもいい」と語りかけてくれたのです。